スモールM&Aの方法と従業員承継に関する留意点について| 前編
上野 真裕
弁護士 / 中小企業診断士
中野通り法律事務所 弁護士
◆ 弁護士業務
・一般民事事件(各種損害賠償、労働、家事、不動産等)
・債務整理(破産、個人再生、任意整理)、など
◆ 中小企業診断士業務
・事業再構築補助金など各種補助金申請の支援
・事業承継・引継ぎ補助金を活用したスモールM&Aの支援、など
本シリーズは二部制で、上記の動画は「前編」です。
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はじめに
「スモールM&A」とは、中小企業におけるM&Aのことを指しますが、株式譲渡や事業譲渡の手段が選択されることが多いです。
従業員の雇用継続については、売り手側にとって譲れない条件であることが多く、買い手側もよほどのことがない限り、従業員の雇用継続という条件に合意します。中小企業においては、従業員も重要な財産になるため、積極的に雇用継続を希望するというケースが多いのです。
この従業員の雇用承継について、株式譲渡と事業譲渡では手続が異なります。その理解が不十分なために、売り手、買い手、従業員の間でトラブルが生じるということがあります。特に事業譲渡の場合にトラブルが多く見受けられます。
そこで、今回は株式譲渡と事業譲渡それぞれについて説明した上で、従業員の雇用を承継する際の手続きと、承継の際に生じる問題点、および対応策について解説したいと思います。
スモールM&Aの方法(株式譲渡と事業譲渡)
1)株式譲渡
株式譲渡とは、譲り渡し側(売り手)の株主が保有している発行済株式を、譲り受け側(買い手)に譲渡する方法です。
譲り渡し側(売り手)の株主については、オーナーである経営者が大半を占めます。また、譲り受け側(買い手)については、会社が該当するケースが多いです。
株式譲渡では、譲り受け側(買い手)が自社の子会社として、新しい会社を取得するというのが典型的なパターンです。なお、譲り渡し側(売り手)の対象会社を譲り受け側(買い手)の子会社とすることを「包括承継」といいます。
株式譲渡のイメージを図に表しました。株主個人が対象会社の株式を持っていて、それを買い手の会社に譲り渡します。買い手の会社は株式を譲り受けた後、対象会社の株式を取得して、対象会社を保有することになります。
2)事業譲渡
事業譲渡とは、譲り渡し側(対象会社)が保有する事業の全部、または一部を譲り受け側(買い手)に譲渡する方法です。
譲渡する内容は、具体的には土地や建物、機械設備などの資産や負債に加えて、ノウハウや知的財産なども含みます。この中に従業員の雇用についても含まれるケースが多いです。
事業譲渡は、資産、負債、契約および許認可等を個別に移転させる方法であり、譲渡される事業に属する権利義務の個別的な承継ということから「特定承継」といいます。
事業譲渡のイメージを図に表しました。売り手は株主個人ではなく対象会社になり、対象会社が持っている事業の全部または一部を、買い手である会社に契約によって譲り渡すことになります。個々の財産を買い手が取得することになるため、対象会社と買い手の間で契約を交わして財産を移転します。したがって、株式譲渡に比べて手続きが煩雑になることが一般的です。
それでも、あえて事業譲渡の方法が取られるのには理由があります。
まず、個別の事業・財産毎に譲渡が可能なため、譲り渡し側(対象会社)は事業の一部を手元に残すことが可能になります。
また、譲り受け側(買い手)にとっては、特定の事業・財産のみを譲り受けることができるため、簿外債務や偶発債務といったリスクを遮断しやすいというメリットがあります。
3)株式譲渡と事業譲渡のまとめ
株式譲渡と事業譲渡では、「当事者」と「取引の対象」という部分に違いがあります。
株式譲渡では株主個人が売り手であるケースが多く、買い手である会社に自分の持っている株を売り渡すことになるため、「当事者」は株主個人と買い手になります。
事業譲渡では、対象会社が売り手となって、自社が持つ事業の全部または一部を買い手の会社に譲り渡すことになるため、「当事者」は対象会社と買い手になります。
株式譲渡では、発行済株式が「取引の対象」となり、対象会社の全部を承継することができます。一方、事業譲渡では、事業の全部または一部が「取引の対象」となり、対象会社の特定の事業を承継することができます。
株式譲渡による従業員の承継手続き
株式譲渡の場合、会社の所有者株主構成が変更するに過ぎず、事業主体(対象会社)は変わらないため、株式譲渡後も対象会社の従業員の地位(雇用条件等)は変わりません。したがって、従業員の雇用承継のための特別の手続きは不要となります。
ただし、株式譲渡の場合、対象会社の全事業が買い手に承継されるため、簿外債務や偶発債務が存在する場合には、それらも承継されてしまいます。従業員の雇用承継という観点から見ると、未払い賃金や時間外労働手当などの隠れた債務が承継される可能性があります。
その対策として、買い手は売り手である株主に対して、隠れた債務は存在しないということを表明および保証させる必要があります。
中小M&Aガイドラインでも契約書のフォーマットが掲載されていますので、参考にしていただければと思います。
事業譲渡による従業員の承継手続き
1)事業譲渡による雇用承継
事業譲渡による雇用承継の法的な方法には、次の3つがあります。
①使用者としての地位の譲渡と労働者の承諾(譲渡型)
特定の事業について使用者を売り手から買い手に変更することで、労働者には新しい使用者について承諾してもらう「譲渡型」という方法があります。
②譲渡企業からの退職または解雇と譲受企業による採用(再雇用型)
譲渡企業から一旦退職、あるいは解雇して譲受企業に新たに採用してもらう「再雇用型」という方法もあります。
③譲渡企業による譲受企業への転籍命令と労働者の承諾(転籍型)
譲渡企業単独で労働者に対して転席命令を発して、それについて労働者に承諾してもらう「転籍型」という方法もあります。
上記いずれの方法であっても、雇用を継続するためには従業員の個別の承諾が必要になります。
雇用承継のイメージを図に表しました。売り手を甲社の対象会社、買い手を乙社としています。事業譲渡契約自体は甲社と乙社との間で交わしますが、一旦、甲社と従業員Aとの間で、買い手の乙社に移籍するということの承諾を得る必要があります。さらに買い手である乙社と従業員Aは、新たに労働契約を締結する必要があります。
2)規定例(転籍型)
中小M&Aガイドラインでは、事業譲渡における未払い賃金等の簿外債務を承継しないようにするための規定例が示されていますので、参考にしていただければと思います。
3)事業譲渡等指針の策定
事業譲渡については労働者の承諾が必要ですが、これについて厚生労働省から指針が示されています。
事業譲渡における雇用承継には従業員の個別の承諾が必要であるため、これまで労働者保護のための法的措置は講じられていませんでした。
一方で会社分割の場合には、労働契約承継法によっては従業員の保護手続きがあります。事業譲渡と会社分割のどちらも、個々の従業員にとっては新しい会社に移ることに変わりありませんが、法律によって保護される・保護されないという問題がありました。
事業譲渡が従業員の雇用や労働条件に大きな影響を与えることも少なくなく、労働契約の承継・不承継を巡って紛争に発展する事例も出てきています。
そこで、従業員の承諾の実質性を担保し、労使間の納得性を高めることにより、事業譲渡の円滑な実施および労働者の保護に資するよう、「事業譲渡等指針」が策定されました。
4)事業譲渡における従業員の承継手続きの流れ
譲渡会社と労働組合等の間では事前協議が必要とされます。両者の事前協議は、遅くとも承継予定労働者との協議の開始までに行う必要があります。承継予定労働者の真意による承諾を得るまで十分な協議ができるように、時間的余裕を見た協議を行うことが必要とされております。
5)承継予定労働者から承諾を得る際に留意すべき事項
事業譲渡に関する全体の状況、債務の履行の見込みなどの状況について、会社側から承継予定労働者に説明する必要があります。
また、どのような会社に行くのかについては、労働者にとって最大の関心事ですので、譲り受け会社の概要や、給料、労働時間などの労働条件についても説明が必要です。
承継予定労働者が抱くさまざまな不安要素を解消すべく、労働条件の変更については丁寧に説明して、同意を得ておく必要があると思います。
まとめ
「スモールM&A」では株式譲渡や事業譲渡が選択されることが多いですが、この両者について売り手、買い手、いずれの立場からも、基本的な内容や違いについて理解しておくことが大切です。
その際、従業員の承継手続きについては、取る手段によって内容が変わってきますので、それぞれの留意事項についても理解しておくことが重要になります。
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