サッカー元日本代表の羽生直剛氏から学ぶ!意識・考え方の持ち方| 前編

【執筆者】
サッカー元日本代表 / 現起業家 羽生直剛

1979:千葉県千葉市 生まれ(43歳)
1992:千葉市立こてはし台中学校
1995:千葉県立八千代高校
1998:筑波大学

2002〜2007:ジェフ千葉
2008〜2016:FC東京 (2013:ヴァンフォーレ甲府)
2017〜2018:ジェフ千葉(現役引退)

2018〜2019:FC東京(強化部スカウト担当)
2020〜   :FC東京(クラブナビゲーター)
2020〜   :「株式会社Ambition22」設立

<資格>
 JFA公認B級コーチ  中学・高校 教諭一種免許(教員免許)
 GALLUP認定 Strengths Coach

・本シリーズは「前編」と「後編」があり、上記の動画は「前編」です。
 後編は下記からご視聴ください。

渡邊社長

今回はビッグゲストをお呼びして特別対談を行います。サッカー元日本代表で現在は起業家としても活躍されている羽生直剛さんです。羽生直剛さんが経営者としてどういう考え方を持っているのか。また、サッカーを通じて培ってきた考え方をどのようにビジネスに活かしているのかについて掘り下げて聞いていきたいと思います。

目次

羽生直剛氏のプロフィールの紹介

渡邊社長

まずは、羽生直剛さんのプロフィールを紹介します。

羽生直剛選手のプロフィール
渡邊社長

羽生直剛さんは、1979年千葉市に生まれ、地元の県立八千代高校でサッカーをやり筑波大学卒業後の2002年にJリーグのジェフ千葉へ入団されました。2007年までジェフ千葉に所属し、2008年から2016年まではFC東京に移籍。2017年からジェフ千葉に戻り2018年に現役を引退されました。引退後はFC東京のスカウトを担当され、2020年にはご自身の会社を立ち上げて経営者としても活躍されています。

渡邊社長

オシム監督がサッカーの日本代表の監督をされていた時代には選手として日本代表にも選ばれていたんですよね?

羽生選手

はい。僕がプロになってジェフ千葉に所属して2年目に監督がオシム監督に代わり、彼が日本代表の監督に引き抜かれるタイミングで一緒に連れて行ってもらいました。オシム監督からはプロのサッカー選手として鍛え上げられただけでなく、引退後のセカンドキャリアの考え方などにも大きな影響を受けました。

渡邊社長

引退後にコーチングの資格も取られたんですよね?

羽生選手

はい。それもオシム監督の影響が大きいです。サッカーをする上で選手自身が自分が持っている本質的な強みが何なのかを把握する必要があったり、強みをチーム作りや引退後の人生に活かしたりする事に興味を持ったのがきっかけで、「ストレングスファインダー」という、アメリカ発のWeb上で質問に答えていくと自分の強みを可視化してくれるツールのコーチングの資格も取りました。

サッカー選手としてプロになるまでの道のり

渡邊社長

そういった経験を活かしながら、今はご自身の事業を展開されている羽生さんの経営者としての「人生」あるいは「哲学」「考え方」「生き方」について学んでいきたいと思います。まず、最初にお聞きしたいのは、サッカー選手としてプロになるまでの道のりです。本当にわずかな人しかプロにはなれないという大変厳しい道のりだったと思いますが。

羽生選手

みんなに驚かれるんですが、大学三年生ぐらいまではプロにはなれないなと思っていました。もちろん、昔から「キャプテン翼」というサッカーのアニメにあこがれて「プロのサッカー選手になりたい」という思いはありましたが、体も小さかったこともあり小学校や中学校ぐらいの時は、自分より良い選手はいくらでもいると思ってました。実際に周りからも「お前なんかサッカー選手になんかなれないよ。」とか「仮になれたとしても三年で終わるよ。」みたいに言われていました。小学校や高校の時に全国大会へも出てましたが、それでもプロというのは、なりたいけど手の届かない別世界の話だと考えていました。

渡邊社長

意外ですね。

羽生選手

プロになる人はみんなトントン拍子で進んでくるものだと思われてますけど、僕は例えば年代別の日本代表とかにも一回も呼ばれたこともないような選手でした。大学生になった頃まで、良い選手というのはボールの扱いがうまかったりドリブルもできてパスも出せる選手だという固定観念があったので、僕もそういうプレーを真似しようとしていました。でも、大学生になると周りとの体格差が大きくなり、そういうプレーをしようとするとフィジカルコンタクトに負けることが多くなってしまい、先輩からも「もうわかったから、ボール離せ。」などとキツく言われたりして、大学一年生の時が特に「ここまでかな。」みたいに考えていました。

渡邊社長

挫折もありましたか?

羽生選手

プロになるのを諦めそうになったのは大学生の時です。「上手いのはわかるけどやっぱりお前の身体じゃ無理だ。」と言われてる時期が一番苦しかったです。なりたいものに手が届かないかもしれないと思った時が挫折といえば挫折ですね。実際はプロになってからの方が大変なことは多かったですが。

渡邊社長

どのあたりからプロを意識するようになりましたか?きっかけみたいなものは?

羽生選手

大学三年生の時に一緒にサッカーをやっていた四年生が何人かJリーグに入っていきました。それを目の当たりにした時に、「この先輩も行けるんだ!?」っていう感覚になり、自分ももっと頑張ればチャンスがあるかもしれないと思うようになりました。Jリーグに行った先輩たちは全日本の大学選抜に入ってたので、とりあえずそれを目指して頑張ろうとなって、それまで一回も入ったことなかったのに三年の終わりぐらいから選ばれるようになって、そこで活躍もできて少し道が開けてきました。

渡邊社長

経営者の間でも良く語られる「オリンピック理論」というのがあり、近くにいる人がオリンピックにでたら自分もでれるんじゃないかと思うようになる現象と同じですね。

羽生選手

そうだと思います。一緒にプレーしていて、自分の方が勝てる部分もあるんじゃないかと思ってた先輩たちがプロに行ったので、それを目にした三年生の途中から自分も本気になってプロを目指し始めるようになりました。

渡邊社長

本気になった、心のギアが入った時に、練習の内容や考え方がガラッと変わったことはありますか?

羽生選手

僕が大学選抜に入った時のチームがユニバシアード国際大会を目指していたので海外のチームと対戦することが多くありました。その時の監督が、海外選手に気持ちで負けないようにしつつも余分なボディコンタクトはやめようという考え方をしていて、もともとボディコンタクトを苦手としていた自分の考え方とも合っていたのでそのスタイルを突き詰めるようになりました。結果、よく走るようにもなり、体をぶつけられそうになったら一旦ボールを離すというようなプレースタイルに変えていきました。後にそういったプレースタイルがオシム監督にも認められたので、そこが僕の原点にあるかなと思います。

渡邊社長

その時の監督が新しい考え方のきっかけを与えてくれたということですね。そうやって人から吸収するとかきっかけを与えてくれるということは大事ですね。

羽生選手

そうですね。人との出会いには本当に恵まれていたと思います。

プロになってからオシム監督に教わったこと

渡邊社長

その後、プロになってジェフ千葉に入って2年目にオシム監督が来たとのことでしたが、その時にガラっと変わったこととか大変だったこととかありますか?

羽生選手

もう何もかもが変わりました。とにかく練習がハード。僕らが先にシーズン前のキャンプと呼ばれる合宿を始めていて後からオシム新監督が合流したのですが、合流した初日から一気に練習内容が変わりました。それまで、キャンプというのはシーズン前に体をゆっくり作っていこうという感じが多かったのですが、初日から練習内容がハード過ぎて練習後には選手たちがみんな死んだ魚の目をしていました。シーズンが始まってからも三か月オフがないとか、スケジュール表がでてこないとか、今までの当たり前が全てひっくり返されたような感じでした。「走らないサッカーなどない」とまずは根本的な考え方から変えられました。

渡邊社長

練習量が多くなったのですか?

羽生選手

まずは練習量がめちゃくちゃ多くなりました。練習時間は午前2時間、午後2時間とかでそれ自体は普通なんですが、内容がハードで求められるものも膨大になったというのが最初にインパクトを受けた点です。

渡邊社長

羽生さんはずっとオシム監督から全てを教わったという発言をされていますが、オシム監督から教わったことで今でも大事にしていることがあれば教えてください。

羽生選手

それは、チャレンジすることの素晴らしさです。

羽生選手

オシム監督は練習中もそれ以外の時も「サッカーも人生も一緒」という言葉をよく使っていました。日本に来て最初に日本人のサッカー選手を見た時に、監督の指示に従順だがそれ以上のことはやらないとか、ディフェンダーやフォワードと言った自分の持ち場や役割に忠実だが保守的でリスクを犯さないように見えたのだと思います。彼から繰り返し言われたことは、「ゴールが生まれる時はリスクを冒した時、誰かが持ち場を離れてチャレンジした時に成立するのだから、リスクを冒す勇気を持ちなさい。それはサッカーも人生も一緒だ。」という言葉でした。

羽生選手

その当時のジェフというチームは、日本代表の選手がたくさんいる訳ではありませんでしたし、予算規模的にもあまり大きなクラブではありませんでした。「オリジナル10」といって、Jリーグの発足当時からある10チームのうちの一つなんですけど、弱小でリーグのお荷物みたいに言われたこともありました。僕が入団して一年目、オシム監督が就任する前年に入団した年の順位が8位ぐらいだったんです。20チーム中で8位ぐらいだったので、「このシーズンはそこそこ良かったな」っていうような雰囲気でした。

羽生選手

それに対してオシム監督からは、「お前たちは何でそんな順位で満足しているのか?それは確かに楽だろう。優勝がかかっていてその試合で必ず勝ち点3を取らなきゃいけないというストレスもない。降格する恐れもない。それは楽だけどそれが豊かと言えるのか?お前たちはサッカー選手として良い時計をして、良い車に乗って、良いご飯を食べて、それで楽しいかもしれないけど、なぜもっと上を見ないのか?なぜ日本代表選手になろうとしないんだ?なぜこのチームで何かを成し遂げようとしないんだ?」みたいなことを言われて。

羽生選手

こういったオシム監督の言葉が僕の中で今でもチャレンジしていくっていう気持ちの根底にある感じです。

渡邊社長

人生観というか仕事やビジネスにもつながりますね。

羽生選手

サッカーを教えてもらっただけでなく、生き方みたいなことだったり豊かな人生とはどういうものかということまで教えてもらった気がします。最初はやばい人が来ちゃったなと思いましたが、もちろん結果もでましたし選手も全員成長できたと思いますし、こんな監督は後にも先にもオシム監督だけでした。

プロで16年も活躍できた秘訣とは

渡邊社長

その後、羽生さんはプロの世界で16年もの長い期間活躍されましたが、その秘訣はどういうところにあったのか、またその後のビジネスとの共通点も何かあれば教えてください。

羽生選手

まずは、人のせいにしないということだと思います。

羽生選手

サッカー選手でも毎年のように高卒や大卒の新人がJリーグに入ってきますが、J1だと当時の平均選手寿命って25~26歳と言われていたので、大卒で3年目、高卒で5年目ぐらいでだいたいみんな引退している計算なんです。その中には理由として「監督が合わない」とか「仲間がこうだ」とか「この環境では力を発揮できない」とかそういうことを理由にする選手が多かった気がします。サッカー選手は一人の個人事業主として勝負してるわけだから、自分で働きやすい環境を勝ち取っていかなきゃいけないのを、他責にしてしまっていることが、若くして引退せざるをえなくなってしまっている要因の一つではないかと思います。

羽生選手

後は、他人とくらべないこと。

羽生選手

自分にしかできないことを追求し、他人と比べないこととかを意識していました。あいつは足が早くていいなあとか、あいつは体が大きくて何も考えずに足元にパス出せてうらやましいなとか思いがちですが、自分は自分でしかないので自分ができる方法でチームに貢献できることは何なんだろうという考えに変えていけたのが大きかったです。

羽生選手

今の仕事でも、例えば仕事が広がって行かないのは自分の責任だとも思うし、自分が望む場所には自分がもっと努力しなければ到達できないみたいな考え方は大事にしています。

渡邊社長

経営者でもよく「世の中で起きてることは全部自分の責任だと思いなさい」という風に言う人もいるんですけど、まさにそんな感じですね。

羽生選手

僕も今、契約社員という形で雇っている人がいるのですが、彼らが最近指示通りに仕事をしていなかったことがあって、「言ったはずなのに」と思ってしまったことがありました。これを「僕の指示の仕方が悪かったからだ」という考え方にしておかないと、この先ずっと人のせいにしてしまうことになりかねないなと。相手の能力が低いからではなく、自分の能力の問題だというところを大事にして保つようにしています。

渡邊社長

もう一つはその後の「ストレングスファインダー」にもつながるのかも知れませんが、自分の強みをきちんと棚卸してそれを生かしていったということもありますよね。

羽生選手

そうですね。オシム監督には常々、「お前は体は小さいけど運動量も多いし基本的な技術も高いし賢さがある。他人はお前のことをフィジカルが弱くてすぐ潰される選手だと決めつけているかもしれないけどお前だって十分にやれる。ボディコンタクトで潰される前にボールを離しなさい。その後、もう一回相手にとって危険なところに入っていってそこでまたボールを受けて、相手がまたぶつかりに来たらまたボールを離せばいい。それを続けられたら十分有益な選手になる。」みたいな感じで言われていました。

羽生選手

オシム監督が減点主義ではなく、良いところや「強み」をどう伸ばして行こうかを常に考えてる人だったので、自分でも強みを磨きなさいと背中を押されたような気がしていました。

強みを生かしたセカンドキャリアの構築

羽生選手

「強み」というワードをすごい大事にしていたのですが、引退してプロサッカー選手のセカンドキャリアが問題になりだした時に、個々の選手が何の「強み」を持ってプロになったのか、ドリブルがうまいとかバスとかヘディングとかそういうことではなく、自分自身の本質的な「強み」を理解できれば、次のキャリアにも生かせるのではないかと思いました。

羽生選手

「ストレングスファインダー」をやると僕の場合は「責任感」が一番の強みとして出てきました。恐らく、サッカー選手の時には責任感を持ってプレーをしていたので、監督が困ったときにあいつに任せようとか、あいつは何十点も取る選手じゃないけどチームのために責任持って動いてくれるといった理由で使い続けてくれたんだと捉えるようになりました。結果、僕は次のキャリアでも「責任感」を持って人と接することで信頼を得ていこうと、そういう風に考えられるようになりました。

羽生選手

また、自分がオシム監督に強みを活かすようにアドバイスをしてもらったように、自分もそういうことを言える存在になりたいとの思いがあったのと、個々人が持っている「強み」を棚卸ししてそれぞれが自覚できれば、そういう「強み」を生かした組織を作れるのではないかとの思いが発端で、「ストレングスファインダー」のコーチングの資格も取りました。なのでオシム監督の影響もすごい大きいです。

渡邊社長

リーダーのあり方とか組織の作り方とか組織の活かし方みたいなところもオシム監督から教わったということですね。

渡邊社長

今回は前編ということで、最後に一つだけお聞きしたいのはスポーツ選手というよりも、学生時代ぐらいまで体育会系の部活で一生懸命やってた方とかはわりと会社に入っても結果を残している方が多いという印象があるんですが、その辺についてはどう思われますか?

羽生選手

アスリート系人材を欲しがってる企業とかは確かにあります。そういう企業の人がまず何を期待するかというと、過酷なことでも耐えられる精神力があるかなと思います。僕もプロサッカー選手をやってきた中で、それこそハードなトレーニングを行うのですが、そこで苦しいから手を抜いてしまうと伸びないです。苦しい中でも耐えられる人や、苦しいことに自分なりの意味を見つけたり、苦しいことをポジティブに捉えて乗り越えられる選手が伸びていくことが多いです。苦しいことをポジティブに捉えなおすみたいなことはビジネスでも一緒なのかもしれないですね。

渡邊社長

ビジネスでも結果がでるかどうか分からないことで頑張らないといけないこともありますね。

羽生選手

僕もそうだと思うのですが、こうなりたいと思うからこそからこそ、今何を学ばなきゃいけないのかっていうところから目を背けてはダメだと思います。そこに行きたいんだとしたら、苦しいことかもしれないけど今これを頑張るんだっていう考え方に持っていけない人は、スポーツでもビジネスでも成功するのは難しいのかなと思います。

渡邊社長

今日はですね前半部分ということで羽生さんのサッカー選手としてのご経歴のところから少しビジネスに共通するところをお話ししていただきました。次回もよろしくお願いします。

後半の記事は下記から読めます。

ビジネス処方箋
サッカー元日本代表 羽生直剛氏から学ぶ!経営者としての意識・考え方の持ち方 | 後編 | ビジネス処方箋 サッカーからビジネスへの転身。羽生選手が学んだオシム監督の哲学。挫折とチャレンジ、再現性の重要性。プロの視点で組織を見つめ、パフォーマンスを通じて勝利に貢献。

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この記事を書いた人

サッカー元日本代表 / 現起業家 羽生直剛

1979:千葉県千葉市 生まれ(43歳)
1992:千葉市立こてはし台中学校
1995:千葉県立八千代高校
1998:筑波大学

2002〜2007:ジェフ千葉
2008〜2016:FC東京 (2013:ヴァンフォーレ甲府)
2017〜2018:ジェフ千葉(現役引退)

2018〜2019:FC東京(強化部スカウト担当)
2020〜    :FC東京(クラブナビゲーター)
2020〜    :「株式会社Ambition22」設立

<資格>
 JFA公認B級コーチ  中学・高校 教諭一種免許(教員免許)
 GALLUP認定 Strengths Coach

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